情報過多で効率や生産性を求める社会の価値観が辛くなってきた女性が活力を取り戻すためには?

いつも性育アカデミー協会のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

子どもの頃の体験は、大人になっても引きずってしまうことがあります。
それがたとえ、何気ない日常であっても。

たとえば、お母さんの「グズだねぇ」「やることが遅すぎる!」「早くしなさい」「ぼーーっとしすぎる!」などという言葉。

お母さんの言葉だから傷ついてしまう、ということもあるでしょう。

お母さんの言うとおりにできない「わたし」にやきもきしてみたり、一方で、そうである「わたし」を見てくれないことに悲しくなってしまったり……

このジレンマを引きずりながら大人になり、効率や生産性などという社会の価値観と相まって、もはや大人の「わたし」には、「ゆっくりする」「ぼーーっとする」ことができずにいる……

などということは、珍しくないように思います。

 

さて今日のテーマは「女性性」です。

効率重視という価値観も、徐々に変わってきている世の中です。
ところが長いあいだ、ゆっくりすることや、ぼーーっとすることを抑制してきたならば、新たな価値観の中で葛藤を抱いてしまうことでしょう。

このお話が、そんな40代以降の女性のヒントになれば、とも思います。

丁寧に生きなおす

「女性性」を極端に簡単にいうと、「自分と仲良くするための性質」と言えると思います。

セラピーの現場にいると、パートナーシップに疲弊したり人間関係で行き詰りご相談される多くの方は、「自分と仲良くする」を苦手であるように実感します。

自分と仲良くするための性質である「女性性」を育もうと思ったならば、「ゆっくりする」「ぼーーっとする」、そして「丁寧に生きること」は大切です。

ところが、子どもの頃に浴びた大人たちからの言葉や、社会に出てからの世の中の事情から、丁寧に生きることが難しかった、というのも原因のひとつではないとも思います。

 

では「丁寧に生きること」とは具体的に何をすることでしょう?

それは、目の前にあるひとつのことに、集中することです。

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洗濯物をと入れるときの肌触りを感じてみたり、太陽に照らされた温かなに匂いをかいでみたり。

歯を磨くときも、一本一本の歯を優しくブラッシングしたり、歯と歯の間を丁寧にフロスをかけたり。

アイロンをあてるときも靴を磨くときも、まるで洋服や靴と話すように接していく。

お化粧するときも、パフやブラシ、指の感触を感じながら仕上げてみたり。

コーヒーを飲みたいと思ったら、豆の香りやお湯を注ぐときの温かさを味わいながら注いでみたり、飲むときのカップの握り手の質感や、口にあたるカップの厚みを感じてみたり。

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一つ一つの動作を意識しながら、その動作のたびに湧いてくるものを、一つ一つ「感じる」ことが、「丁寧に生きること」です。

小さい頃、大人には「ぼーーっとしている」と見えていたのかもしれません。

けれどもほんとうは

風にゆれる木を見ていたり
雲が流れる様をみていたり
お日様がつくる影の動きをみていたり
大人達の表情の変化をみていたり
大人の持ち物が、きらきら光る様をみていたり

そこに湧いてくる「なにか」を感じていたはずなのです。

偏った価値観のバランスを取り戻りませんか? という提案が「女性性」という表現にあるだけです

効果的に効率的に生きることや、すばやく結果を出すことや、高得点を獲得することが「大切」だとなったなら、「感じている」ことはなんの役に立たないとされてしまいかねません。

子どもが「感じている」ことを、効果や効率を求めようとする大人は「ぼーーっとしている」→「だからダメ」という図式を描いてしまいかねません。

丁寧に生きると、なにをやるにも時間がかかります。
ひとつひとつ意識を向けながら、対話するように動作していくのですから……「効率」や「生産性」という言葉には、当てはまらないことになってしまうのかもしれません。

けれども、効果的に効率的に生きることや、すばやく結果を出すことや、高得点を獲得することを訓練し続けると、「女性性」は枯渇します。

 

効果や効率を優先したり、結果を出すことを目的に行動することは、「男性性」が得意とすることです。

人は誰でも(女性や男性という性別に関わらず)、「男性性」と「女性性」という二つの性質を持っています。

すると、一方を優先するとどうなると思いますか?

天秤が傾くように、一方に偏ってしまうのです。
偏り過ぎると、その性質が過剰に強調されるようになります。

効果や効率を優先するあまり、やることは乱雑になり人を陥れることさえ躊躇しないかもしれません。

結果を出すことに拘り過ぎると、邪魔者は消したくなり排他的・暴力的にもなりましょう。

権力の顔を伺うことに慣れ、認められたい、愛されたい、という他者評価がますます膨張するでしょう。

はじめは「みんなのしあわせ」を願って進めてきたことも、これでは本末転倒です。

「男性性」に偏り過ぎた価値観のバランスを取りも戻すことが、パートナーシップや人間関係のひずみを埋めるための方法だとも思っています。

だからこそ、「女性性」や「自己愛」を強調するのです。

愛されようとすることを手放したとき、自分の心地よさで生きることが選択できるようになります。

効果や効率という他からの評価を手放し、自分の感覚を信じ丁寧に生きることから、はじめてみませんか?

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