今日は「セックス」をテーマにしています。
協会から発信する「セックス」のお話には、世間に溢れるAVやTLのような刺激を与えるファンタジーなお話は一切ありません。
人としての「命」と「心を生きる」ためのお話をしています。
気が進まない方は、どうかスルーしてください。
生活の一部としてのセックス
心と体は、徹底的につながっていると思っています。
もうひとつ付け加えるならば……
心が開いていない状態で体だけのセックスを重ねると、心と体の乖離が進み、自分らしい人生を生きられなくなる、と思っています。
だからこそ協会の活動から、「性」における心の大切さを広げたいのです。
高齢になり、機能的にセックスが出来なくなったというカップルはいます。
それでも、ますますセクシュアルにつながっていくご夫婦もいます。
そのようなご夫婦の話しも、これまでにたくさん伺ってきました。
性的に男性の方が勃起しないという状況にあっても、ますます性生活を楽しんでいます、というお話を奥様の方からお聞きするのです。
また同性のカップルのお話を聞くこともあります。
そのような方々のお話をお聞きしていると、セックス=挿入ではないことに納得するのです。
関係性が上手くいっているカップルほど、セックスにこだわっていません。
けれども、セクシュアルな関係を大事にされ深められていることを知ります。
セックスにこだわることはないけれど、セックスをとても大切にしています。
「生活の一部としてセックスがある」という感覚です。
私たちが「性」を発信する理由
「生活の一部としてセックスがある」ということは、パートナーとの心をつなぐ行為としてセックスがある、ということです。
セックスだけがパートナーとの心をつなぐ行為などといいたいのではありません。
ただ、心地よくあることのひとつとして、また、愛し愛されることのひとつとして「セックス」がある、というだけです。
セックスをしてもしなくても、愛している。
セックスを特別視するわけでもなく、生活の一部として普通にあるもの。
セックスをわざわざ取り立てることも
拘ることも
ないがしろにすることも
敵視することも
ありません。
セックスは
普通であり
自然なことであり
自由なものだからです。
でもなぜ、私たちは「ことさらに」性について発信しているのでしょうか?
それは、今の社会におけるセックスアピールが、あまりにも不自然だからです。
ほんとうは、人として当たり前にある「セックス」であり「性」です。
AVにみる「性」はファンタジーであり娯楽です。
けれどもそれを「あたりまえ」だと思い込み、心を置き去りにして傷つく子どもや大人は少なくありません。
そして偏った性教育。
精子と卵子の受精動画を学校で見せることはあっても、コンドームの扱い方などは教えてくれません。
また、体のことや体を守るノウハウなどの知識は教えても、それを扱う人の心の在り方までは教えてくれることはありません。
あるいは、不安を解消するために知識を与える性教育はあっても、感情を育み感性をサポートする性教育はありません。
性徴によって不安定になる子どもたちの心を刺激したり、親や大人の不安を煽るような情報だけは、溢れているにもかかわらずです。
だから、わたしたちは発信をしています。
本来の「性」を、社会が取り戻すために。
性の醍醐味
人の様として、「性」は「ある」ことが前提です。
また、パートナーと心さえ開いていれば「性」はなくてもいい? ということでもないと思っています。
心を開いていても開いていなくても「性」は自然にあるものだからです。
ただ、心を開いていない状態で「性」の一部であるセックスを扱うと、あなたの心がしんどくなる、それだけです。
「愛し合う」ことに、正解はありません。
カップルそれぞれに、愛し合う形があります。
そのなかで、お互いがお互いを大事に満たし合っている形を、「性」としてあらわすことが大切だと思っています。
心も体も満たされていることが、「性」の醍醐味です。
「性」は、セックスのテクニック云々のお話ではありません。
もっともっと、命の根っこのお話です。
形だけではない「ほんとうのセックス」を、どうか深めてほしいと思います。
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