「お母さんの呪縛」という言葉にはショックを受けてしまうかもしれません。
ですが、この言葉は性愛心理学でも扱う概念です。
もちろん、だからといって「お母さんの呪縛」という言葉は、よほどの場合で無い限り、私はこの言葉を使いたくありません。
なぜなら、子どもを呪いたいと思ってそうするお母さんはいないから。
一方で、あきらかに「お母さん、そのやり方は間違っていたよ」というケースがとても多く見受けられます。
さて今日は、そんな「お母さんの呪縛」についてお話したいと思います。
あなたの考え方のヒントになれば幸いです。
存在の否定は、ない。やり方がおかしいことは、ある
今でもセラピーの現場に立ちます。
最近のご相談で思うのは、「お母さんの呪縛」に苦しんでいる方々が多いなぁ、ということです。
お母さんのやり方に影響を受けたお嬢さんたちが、結婚をして子どもを産んで苦しんでいる……そんなご相談が多いのです。
ただくれぐれも誤解頂きたくないのは、「お母さんの呪縛」と言葉を使って「お母さんが悪い」などといいたいわけではありません。
そもそも、「お母さんが悪い」という概念などここにはないのです。
存在の否定はありません。けれども、やり方がおかしいときは「そのやり方はおかしい」というだけです。
お母さんの影響力は、大なり小なり、その子どもに関わります。
そんな子どもたちが大人になり親となった状況にあってさえ、まるでお母さんに自分の人生を支配をされているかのように苦しんでいる、そんな状況が、頂戴するご相談に見受けられるのです。
お母さんもまた、自分のお母さんにいうがままにならざるを得ず、自分で自分の人生を選択することを許されなかったのかもしれません。
自分自身を抑え込んで、生きてきたのかもしれません。
そこにはとても大きな悲しみも怒りもあるでしょう。
そうするしか方法がなかった、という立場も解ります。
それでも……そのお母さんの功罪はあまりにも大きいと、思うのです。
自分の親に自由にしてもらえなかった恨みつらみを自分の子どもに向けることで、母親からの恨みを晴らそうとするのです。
「あなたもわたしのように、親に服従して生きていかなきゃいけないのよ」と。
けれども、この連鎖が続いていくことを怖れ、そして断ち切りたくて、多くの女性がカウンセリングやセラピーに目を向けられるのだと感じます。
女性が、心からの笑顔であってほしい
「お母さんの呪縛」という負の連鎖に気がつき、前を向こうとする。
けれども、どうしていいのか? がわからなくて苦しんでいる。
そんな女性が多いように思います。
そして、子育てに惑っているようにも感じます。
「子育てに惑う」は、「いいお母さんになりたい」という気持ちがなければ生まれることのない悩みです。
それは、「子どもを愛したい」という大きな愛情と、それができない自分を責めてしまう罪悪感の葛藤です。
結果的に、子どもを縛り付けてしまう愛し方しかできないお母さんであっても、そこに大きな愛を持っていることには、変わりないのです。
「お母さんの呪縛」に囚われている女性に出会うと、わたしは昔の自分を重ねてしまうことがあります。
わたしは、現実の母親を愛おしいと思っています。
けれども、「小さなわたし」に対する「未熟だった当時の母親の態度」は、今も心の中にあり、わたしを苦しめることがあります。
そのときに沸き起こる苦しい感情から少し離れ、客観的に自分を見つめて感情をリリースする、という訓練を、わたしは行いました。
だから、今、母親を愛おしいと思えるわたしもいます。
今、渦中で子育てに悩んでいたり目の前の人間関係に悩んでいる方々を目の当たりすると、少しでも力になれることはないか、と自分にできることを考えるばかりです。
ほんとうは、加害者も被害者もいない。誰もがみんな「無害」なのだから。
女性が心からの笑顔であってほしい……そのために、この活動をしています。
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